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本HPが書籍になりました。


本HPの内容を、より精密に、よりわかりやすく

紹介しています。

修士課程のガイドブックとして、

社会人に限らず、

ご活用いただける内容となっています。


社会人のための文系大学院の学び方  

齋藤 早苗(著)

A5判  160ページ 並製 青弓社

定価 2000円+税

ISBN978-4-7872-3507-7 C0036

「日々のくらしとしゃかいがく」


食べる、寝る、働く、遊ぶ、育てる、集まる、語る、見る、読む・・・

日々のくらしのなかにある「しゃかいがく」の知を

お伝えしています。


「日々のくらしとしゃかいがく」不定期更新

https://life-sociology.amebaownd.com/


このブログでは、

社会人に限らず、


「研究とはなにをすることか」

「修士論文を書ける学生に育てるにはどうすればよいか」


のヒントとアイデアも、

お伝えしていきます。


集中講義(2日間、1週間)、

月1回の定期的な研究進捗のチェックと

研究スキルの向上など、

さまざまなカリキュラムをご用意しています。

関心ある方からのお問い合わせをお待ちしています。

photo by Van Tay Media @unsplash

齋藤早苗


山口県山口市出身、東京在住。

県立高校から地方国立大学に進学。

卒業後、東京にて生命保険会社、看護協会などを経て、

一橋大学大学院、東京大学大学院に入学、修了。


予備校での小論文講義を多数担当し、

多くの学生さんの小論文の指導を行ってきました。


「書く」という作業は、

自分のばくぜんとした考えに言葉を当てはめることです。

そのためには、まず自分が何を考えているのか、感じているのかに

意識を向けること。


そうして、その考え、感じ方にもっとも近い言葉をあてはめていきます。


さらに、いったん書いたものを、

他人が読んでも理解してくれるかに注意を払いながら、

厳しくチェックしていくのです。


メールでもツイッターでもフェイスブックでも、

日頃は、こんなに丁寧に書くことはありませんよね。


でも、言葉を丁寧に紡ぐ時間をもつことは、

自分自身の知性を研ぎ澄ませてくれます。


そんな作業のお手伝いをできれば、と思っています。

Photo by hannah-olinger @unsplash

教員のみなさんの中には、

「問い」の見つけ方を、


先行文献にあたり、

調査を行う中で、

苦しみながら見つけるものだ、


と、

「習うより慣れよ」パターンをイメージしていることが

多いように思います。


でも、

問いの立て方も、

ちょっとした訓練で、

ちょこっとだけ近道になることもあるんです。


それが「問いの立て方訓練」です。


身近なことでよいので、


なぜ

どのように

なにが/なにを

いつ


を使って、疑問を言葉にしてもらいます。

このとき、社会人が立てがちなのが、

「未来」に焦点を当てた問いです。


「どうすれば~~~は良くなるか」

「どのような~~~が求められるか」


これ、研究ではNGですよね。


研究での視点は、「未来」ではなく

「現在/過去」にあるからです。

photo by jon tyson @unsplash


そこで、立てられた問いの「時制」に注目し、

もし未来に視点があるなら、

現在、過去に向けるよう教えましょう。



このひと手間によって、

社会人院生の意識を、

「未来」から「現在/過去」に向けるよう

促すことができますよ。


大学教員の方からすると、

大学院に進学してきた社会人に対して、

「教えにくいなぁ~~」

と思う方もいるでしょう。


ときには、

自分より年上の方が、

学生としてゼミに参加することもあります。


とくに、

仕事経験が長い人、

仕事での成功体験がある人は、

「仕事OS」を、「学問OS」に入れかられない場合が、

多いように思います。


だからこそ、

「仕事」と「学問」の溝を埋めるためのカリキュラムは

ぜったいに必要!


そこで、

ここでは「こんなカリキュラムあったらいいな」のアイデアを

書き留めていきたいと思います。


教員のみなさんが、実践するのは大変だと思いますが、

「知っておく」だけでも、

指導の工夫のヒントになることもあるかもしれません。


仕事と学問のずれを知って、

よりよく社会人院生を指導する一助になりましたらうれしいです。

            Photo by Mael BALLAND @Unsplash


これまで何度か「問い」について、お伝えしてきました。

調査を始める前に、いったん「問い」を立てますが、

この「問い」は不変のものではありません。


実は、

「問い」もまた、調査や執筆のプロセスを経て、

育っていくものなのです。


アカデミックの世界では、

問いー仮説ー結論のつながりが重要だ、

ということは

もう意識せず空気を吸っているようなもので、

多くの教員にとってはあたりまえすぎて、

きちんと言語化できていないことが多いように思います。


私自身、

 問いー仮説ー結論 

のつながりの重要性が腑に落ちたのは、

2度目の修論を書いているときでした。


アカデミック世界の常識がわからない社会人院生は、

「問い」が重要なことはわかるけれども、

なぜ重要なのか、どう使えばいいのかがわからず、

教えてもらえないまま、

ふわっと理解して、なんとなく使っている、

という人もいるでしょう。


問いは、たいてい

「なぜ」や「どのように」「何が」

といった疑問からはじまることを、

まずは覚えておきましょう。


そして、研究が進むにつれて、

「問いは変化して(させて)いくもの」

だと思っておきましょう。


つまり、

変化していく(させていく)=育てる

ということなのです。


研究の進み具合に応じて、

問いを、何度も確認しましょう。

そうすることで、

問いがしっかりと育ってくれますよ。

Photo by Jon Tyson on Unsplash










さて、いよいよ分析の開始です。


分析方法については、

おおくの参考書が出ていますから、

それらを片手に、

トライ&エラーで身につけていくしかありません。


そうして、データから読み取れることを

集めていきます。


しかし、

多くの人がここで混乱してしまうようです。


というのも、初心者には、


「どこまでが分析で、

 どこからが考察なのかがわからない」


ことが多いからです。


データを分析して明らかになったことは、

まだ点=パーツにすぎません。

データから抽出した多くの点は、

それだけでは、バラバラで

どのような関係にあるのかはわかりません。

このバラバラの点の中から

関連するものを拾い上げ、

つなぎ合わせると、線になります。


これらの線を重ねて、

面へと広げていく作業が、考察です。


と、このように書かれたものを読んでも、

抽象的過ぎて、なにがなにやら・・・

という社会人院生の方もいると思います。

そんな方は、

とにかく修士論文を書くプロセスの中で、
苦しむのがいちばんです!(ΦωΦ)フフフ…|д゚;)


「分析は点、考察は面」

ということばが、

「なるほど!こういうことだったのね!!」

と腑に落ちるときまで、

トライ&エラーを繰り返しましょう!


一方、


②自分の研究の全体像、進行状況を報告する


の研究報告型の場合は、

自分の研究内容をしっかりと説明できるといいですね。


全体像を示した上で、

今日の発表ではどの部分に焦点をあてているのか、

どんな点でアドバイスがほしいのか、

どんなことに行き詰っているのか・・・

なども発表すると、

アドバイスしやすくなります。


発表、というと、

どうしても「自分が発表する」ことだけに集中しがちですが、

研究報告型でもっとも大事なのは、

きちんと「批判を受け取る」ことです。


社会人院生にありがちなのが

「批判されても、ぜんぜん変わらない」

という落とし穴です。


Photo by Brett Jordan on Unsplash


せっかく批判されても、

入学当初からまったく変わらない内容を発表し続けた社会人院生もいました。


それは、逆に言うなら、

まったく成長しなかった、ということです。



この「批判」に対応することで、

それまでドットの荒い映像だった研究計画が、

高精細の内容へと変わっていくのです。


職場での批判と、

学問世界の「批判」は違うことを、

理解したうえで、

研究報告のときには、

きちんと「批判を受け取る」姿勢で臨みましょう!


さて、大学院では、

授業でも、ゼミでも、

「発表」の順番がやってきます。


授業登録の際に、

「じゃあ、何回目を担当するか決めましょう」

と言われたとき、

「ひえ~~~!発表なんてできないよ~~~!!」

と、ものすごくビビったのを思い出します。


発表には2種類あります。

ひとつは、ゼミ生で知識を共有するためのもので、

 ①文献を読んで、その内容を紹介し、疑問点を出す

これは、みんなでこの文献について議論するための発表です。



もうひとつは、自分自身のためのもので、

 ②自分の研究の全体像、進行状況を報告する


これは、自分自身の研究がどこに向かっているのか、

このまま進めて妥当なのか、

などを確認し、

批判してもらうことで、ブラッシュアップするための発表です。


発表の時に気を付けたいことはそれぞれ異なります。


Photo by fotografierende on Unsplash



①文献を読んで、その内容を紹介し、疑問点を出すという

文献購読型の場合、

もっとも重要なのは、「みんなで議論する」ことです。

そのための材料を発表するのが、最低限の義務です。


「担当部分の途中までしか読めませんでした」

というのは、もっとも避けなければなりません。

だって材料がなかったら、議論のしようがありませんから。


そして、時間配分も重要なポイントです。

議論する時間をしっかりとれるよう、
ていねいに、かつコンパクトに報告しましょう。


社会人院生のダメポイントに、

「ついついしゃべりすぎる」

という点があります。

限られた時間を、議論に有効に使うためにも、

しゃべりすぎない、は鉄則です。


大学院の授業やゼミでは、

議論することが求められます。


私は、入学当初、こうしたゼミでは

不足している点を指摘したり、
批判することが重要だと、
勘違いしていました。


しかし、ある時、

20歳近く年下の先輩が、


「ゼミでは、

 できるだけ、その論文がどうしたらよくなるか、

 を考えながら発言してます。

 ただ批判するだけでなく、
 ちゃんと案も示せれば、
 よりよい論文になると思います」


と話すのを聞いて、

「ただ批判すればいいと思ってたなんて、

 わたしはなんて浅はかだったんだろう!!」

と、ものすごく衝撃を受けました。


「ただの批判」ではなく

「論文をよくするアドバイスとしての批判」

が重要なんですね!


と、こう書くとかんたんなんですけど、

わたしは本当に批判が好きで(;´・ω・)

つい「ただの批判」をしてしまいます。

だからって口を噤まず、

どんどん発言して、

どんどん失敗に気づいて、

「あたたかく批判する力」を養っていきたいと思います。


photo on StockSnap


修論はジグソーパズル」でもお伝えしたように、

4万字~10万字など、

修士論文では、ひじょうに長い文章を書くことになります。


しかし、どんなに長い文章も、けっきょくは

「小さなピースの集まり」

でつくられているのです。


そこで、

いきなり修論全体=すごく複雑で大変な作業をイメージするのではなく、

まずは、「1ピースだけ書いてみよう」

と考えて取り組んでみましょう。


Photo by insung yoon on Unsplash


多くの研究科では、

最終的には、「修士論文を書く」ことを目指します。


多くの社会人院生は、

なんとなく修論を

「書かなければいけないもの」と思っているだけで、

「なぜ書くのか?」には無頓着です。


では、なぜ大学院では修論を書くのでしょうか?

photo by elena-mozhvilo-fJeKNKHInYo on unsplash


それは、

社会科学の手続き、思考法を学ぶため

です。


わたしたちは、

どれだけ知識として学んでも、

すぐに実行できるわけではありません。

『戦争論』を著したクラウゼヴィッツは、


  知識―理論を知っていること

  能力―適切な判断が下せること


と述べて、これら2つを区別しています。


授業では、「知識を得る」ことはできます。

しかし、それが「判断力を養う」ことにはなりません。


判断する力は、
実際に経験する中で身につくものです。


つまり

とにもかくにも完成品(に近い状態の作品)を

つくり上げる中で、

培われていくものなのです。


このように考えると、

修論とは、論文としての完成品というよりも、

絵画における「習作」に近いですね。


このことを理解して修論に取り組めば、

修論執筆をむやみに恐れる必要はなくなりますよ!


参考文献

川村康之『60分で名著快読――クラウゼヴィッツ「戦争論」』日本経済新聞出版会


ブログ執筆からはや10か月。

が、ここで、

「大学院は、なにをするところか?」

というもっとも基本的な確認をスルーしてきたことに、

今更ながら気が付いてしまいました。


自分にとってあたりまえの大前提ほど、

言葉にするのを怠る、

という典型ですね。


さて、社会人の多くの方が、

大学院受験のときに挙げる一番の理由は

「もっと勉強したいと思ったので」

です。


この言葉に違和感を抱かなかった方、この後の文章は必読です!!

では、どこが違和感なのでしょうか?


まず、大学院は、なにをするところか?を確認するために、

大学と比較してみましょう。



(1)大学

  ・講義を受け、試験で知識を確認する。

  ・それらの学びをもとに、初歩的な調査、分析などを行い、卒業論文にまとめる。

   

   つまり、重点は、

   講義での知識のインプット=受動的

     社会科学の書き方の作法を学ぶために卒論を書くという

     アウトププット作業=能動的



(2)大学院

  ・大学での知識、初歩的な書き方があることが大前提。

  ・ゼミ形式の授業で、積極的なディスカッションを通して、クリティカルな視点を

   身につける。

  ・自分自身で、研究すべきテーマを見つける。

  ・問いー仮説(仮の答え)ー答え(調査して分かった答え)を自分で探す。

  ・自力で本格的な調査、分析などを行い、修士論文にまとめる。


 つまり、大学院で求められるのは、

   自分で課題を探し出し、調査し、

   その答えを見つけること=能動的


   その上で、社会科学的な手続きをふまえて、
   修士論文を書くというアウトプット作業

   =能動的


 すなわち、大学は

A「あらかじめ何が問題なのか、何が答えかがわかっていることを

     教えてもらうところ」で

 

 大学院は、

B「自らの問題意識に沿って、能動的に研究する手順を学ぶところ」

 なのです。


Photo by John T on Unsplash



社会人院生が「もっと勉強したいと思ったから」

というのは、

大学までの学びの主流であったAを想定している場合が多いんですね。


しかし、大学院での学びは、

自らが四苦八苦しながらスキルを獲得する、という学びなのです。


このあたりの違いを認識せず、

大学や、あるいは市民講座のような受け身の感覚でいると、

何も身につかないまま、修了の日を迎えることになります。


せっかく大学院で学ぶのですから、

大学と大学院の違いを理解して、

一人でも多くの社会人院生のみなさんに

アカデミックスキルを身につけてもらいたいと思っています^^/