多くの研究科では、
最終的には、「修士論文を書く」ことを目指します。
多くの社会人院生は、
なんとなく修論を
「書かなければいけないもの」と思っているだけで、
「なぜ書くのか?」には無頓着です。
では、なぜ大学院では修論を書くのでしょうか?
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それは、
社会科学の手続き、思考法を学ぶため
です。
わたしたちは、
どれだけ知識として学んでも、
すぐに実行できるわけではありません。
『戦争論』を著したクラウゼヴィッツは、
知識―理論を知っていること
能力―適切な判断が下せること
と述べて、これら2つを区別しています。
授業では、「知識を得る」ことはできます。
しかし、それが「判断力を養う」ことにはなりません。
判断する力は、
実際に経験する中で身につくものです。
つまり
とにもかくにも完成品(に近い状態の作品)を
つくり上げる中で、
培われていくものなのです。
このように考えると、
修論とは、論文としての完成品というよりも、
絵画における「習作」に近いですね。
このことを理解して修論に取り組めば、
修論執筆をむやみに恐れる必要はなくなりますよ!
参考文献
川村康之『60分で名著快読――クラウゼヴィッツ「戦争論」』日本経済新聞出版会
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