ブログ執筆からはや10か月、
本サイトの記事も40を超えてきました。
が、ここで、
「大学院は、なにをするところか?」
というもっとも基本的な確認をスルーしてきたことに、
今更ながら気が付いてしまいました。
自分にとってあたりまえの大前提ほど、
言葉にするのを怠る、
という典型ですね。
さて、社会人の多くの方が、
大学院受験のときに挙げる一番の理由は
「もっと勉強したいと思ったので」
です。
この言葉に違和感を抱かなかった方、この後の文章は必読です!!
さて、では、どこが違和感なのでしょうか?
まず、大学院は、なにをするところか?を確認するために、
大学と比較してみましょう。
(1)大学
・講義を受け、試験で知識を確認する。
・それらの学びをもとに、初歩的な調査、分析などを行い、卒業論文にまとめる。
つまり、重点は、
講義での知識のインプット=受動的
社会科学の書き方の作法を学ぶために卒論を書くという
アウトププット作業=能動的
(2)大学院
・大学での知識、初歩的な書き方があることが大前提。
・ゼミ形式の授業で、積極的なディスカッションを通して、クリティカルな視点を
身につける。
・自分自身で、研究すべきテーマを見つける。
・問いー仮説(仮の答え)ー答え(調査して分かった答え)を自分で探す。
・自力で本格的な調査、分析などを行い、修士論文にまとめる。
つまり、大学院で求められるのは、
自分で課題を探し出し、調査し、
その答えを見つけること=能動的
その上で、社会科学的な手続きをふまえて、
修士論文を書くというアウトプット作業
=能動的
すなわち、大学は
A「あらかじめ何が問題なのか、何が答えかがわかっていることを
教えてもらうところ」で
大学院は、
B「自らの問題意識に沿って、能動的に研究する手順を学ぶところ」
なのです。
Photo by John T on Unsplash
そこで、社会人院生の理由「もっと勉強したいと思ったから」
を検証してみましょう。
「もっと」「勉強」ということばから、
これまでの学びの延長線上に、大学院受験をおいていると捉えることができます。
さらに、ここでいう「勉強」は、
大学までの学びの主流であったAを想定している場合が多いんですね。
しかし、大学院での学びは、「研究手続きを身につけるための学び」です。
わかりやすい知識を授けてもらうのではなく、
自らが四苦八苦しながらスキルを獲得する、という学びなのです。
このあたりの違いを認識せず、
大学や、あるいは市民講座のような受け身の感覚でいると、
何も身につかないまま、修了の日を迎えることになります。
もちろん専門職大学院だったり、
各大学院の修士課程基準の設定によっては、
そこまで求められることもないかもしれません。
とはいえ、せっかく大学院で学ぶのですから、
大学と大学院の違いを理解して、
一人でも多くの社会人院生のみなさんに
アカデミックスキルを身につけてもらいたいと思っています^^/
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