大学院の授業やゼミでは、
議論することが求められます。
私は、入学当初、こうしたゼミでは
不足している点を指摘したり、
批判することが重要だと、
勘違いしていました。
もちろん、
大学院では、
クリティカル=批判的に
理解することが求められています。
だから、ゼミでも
「批判すること」が求められるのだと思っていたのです。
しかし、ある時、
20歳近く年下の先輩が、
「ゼミでは、
できるだけ、その論文がどうしたらよくなるか、
を考えながら発言してます。
ただ批判するだけでなく、
ちゃんと案も示せれば、
よりよい論文になると思います」
と話すのを聞いて、
「ただ批判すればいいと思ってたなんて、
わたしはなんて浅はかだったんだろう!!」
と、ものすごく衝撃を受けました。
議論するということは、
相手を打ちのめすためではなく、
相手がより高次の理解へと促されるよう、
あるいは、
よりよく他者に伝えられるように
導くためなのだと、
ようやく気付いたのです。
議論するためには、
まず、
提示された内容に対して、
どんな点が妥当で、
どんな点に不足があるのか、
を腑分けし、
不足の点を指摘します。
発表者は、
不足の点を口頭で補足するとき、
これまで言葉にできなかった考えに気づいたり、
刺激を受けて新たな考えに導かれたりします。
不足のように思える部分に対する質問は、
より明確に、発表者の意図を言葉にするための
促進剤なんですね。
このことを意識して発言すると、
「ただの批判」ではなく
「論文をよくするアドバイスとしての批判」
になると思います。
と、こう書くとかんたんなんですけど、
わたしは本当に批判が好きで(;´・ω・)
つい「ただの批判」をしてしまいます。
だからって口を噤まず、
どんどん発言して、
どんどん失敗に気づいて、
「あたたかく批判する力」を養っていきたいと思います。
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