指導教員は「上司」ではない


さて、修論を書くには、

指導教員の指導を受けなければいけません。


指導教員は、もちろんこの道のプロですから、

たくさんためになるアドバイスをしてくれる(はず)です。


・・・が、これを100%受け入れることが、

よい修論を書くことにつながるとは限りません。


修論は誰のものかと言えば、それは「修論を書く学生」のものです。

執筆や分析の責任を負うのは、指導教教員ではなく、執筆した学生です。

つまり、修論の舵を取るのは、執筆する学生なのです。


でも、社会人院生は、

「教員のいう事は極力取り入れて、対応しなければならない」

と思ってしまっているんですね。


それで、ふと思いました。

「教員は、『上司』じゃないんだから、

 自分にとって役に立つアドバイスとそうでないアドバイスを、

 分けて考えてもいいんだよね」って。


職場では、責任を取るのは上司です。

だから、納得してなくても、上司に従ったりしますよね。

上司に確認しながら、物事を進めますよね。

なにか事が起きても、「だって上司がオッケーしたし」と言えますよね。

その社会人としての姿勢は、修論にはいりません!!


教員から「これはおかしいんじゃないの?」と言われても、

そのコメントに対して、論理的に反論し相手を説得できるなら、

それでいいんです。

だから、教員を「上司」と混同せず、

修論の舵は、しっかり自分が握りましょう!!


わたしが修論を書く間、モットーのように歌っていたのは、

TOKIOの宙船です。


「その船を漕いでゆけ おまえのオールで漕いでゆけ

 おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな!」


いや、もちろん教員が「おまえが消えて喜ぶ人」ではないですが^^;

でも、このくらいの気持ちでいるといいと思います^^/


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