指導教員は「上司」ではない


さて、修論を書くには、

指導教員の指導を受けなければいけません。


指導教員は、もちろんこの道のプロですから、

たくさんためになるアドバイスをしてくれる(はず)です。


・・・が、これを100%受け入れることが、

よい修論を書くことにつながるとは限りません。


これまで見てきた社会人院生を、教員との関係で分けると


 ①教員のアドバイスにいっしょうけんめい従おうとするタイプ

 ②教員のアドバイスがまったく届いていないタイプ

 ③必要なアドバイスだけ取り入れるタイプ


の3つに分かれるようでした。


修論は誰のものかと言えば、それは「修論を書く学生」のものです。

執筆や分析の責任を負うのは、指導教教員ではなく、執筆した学生です。

つまり、修論の舵を取るのは、執筆する学生なのです。


でも、

①教員のアドバイスにいっしょうけんめい従おうとするタイプの学生さんは、

「教員のいう事は極力取り入れて、対応しなければならない」

と思ってしまっているんですね。


それで、ふと思いました。

「教員は、『上司』じゃないんだから、

 自分にとって役に立つアドバイスとそうでないアドバイスを、

 分けて考えてもいいんだよね」って。


職場では、責任を取るのは上司です。

だから、納得してなくても、上司に従ったりしますよね。

上司に確認しながら、物事を進めますよね。

なにか事が起きても、「だって上司がオッケーしたし」と言えますよね。

その社会人としての姿勢は、修論にはいりません!!


教員から「これはおかしいんじゃないの?」と言われても、

そのコメントに対して、論理的に反論し相手を説得できるなら、

それでいいんです。


学卒院生の友人は、こう言ってました。

「教員からのアドバイスをすべて受け入れる必要はないんですよ。

 意見が違うなら、論理的に根拠を提示して説得できればいいんです。

 先生たちは論理を大事にするから、

 その論理がきちんと通っていたら、納得してくれますよ」


なるほど~~!

理屈を大事にするからこそ、理屈でもって対抗すれば、

ちゃんと受け入れてもらえる。

それは、なにもかもを教員のアドバイスに委ねる、ってこととは違います。


だから、教員を「上司」と混同せず、

修論の舵は、しっかり自分が握りましょう!!


わたしが修論を書く間、モットーのように歌っていたのは、

TOKIOの宙船です。


「その船を漕いでゆけ おまえのオールで漕いでゆけ

 おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな!」


いや、もちろん教員が「おまえが消えて喜ぶ人」ではないですが^^;

でも、このくらいの気持ちでいるといいと思います^^/


あ、でも、だからって、

②教員のアドバイスがまったく届いていないタイプ

になっては、ダメですよ!


めざすのは、

③必要なアドバイスだけ取り入れるタイプです。


アドバイスはいったん受け入れて、検討して、

それでもそのアドバイスが違うと思うなら、

なぜ違うのか、どう違うのかを論理的に突き詰めていくといいですね。

そのプロセスを繰り返すことで、

修論で提示する論理が、

いっそうソリッドになっていくと思いますよ。



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